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人生は一人旅。いくぜぬるりと。

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生きる理由をミニマルに。

僕は何のために生きているのか


ふとこんなことを考えた。




人生の目的って?


なんで成長を望むの?


正解ってなんだよ。


そんなことがもんもんと頭の中で踊っていた。





そんな中で、ある言葉に出会った。

「どんな奴でも最後になってみるまで自分がどんな人間かなんてのは分からないものだ.......

死に際になって自分が何者だったか気付かされる。死とはそういう事だと思わないか?」


漫画「NARUTO」に出てくるうちはイタチというキャラのセリフなんだけど、この言葉を見てあることに気づいた。


生きる理由も、最後にならないと分からないんじゃないか?ということ。



ならもうこんなこと考えている意味ないじゃん。って、この言葉を見た時にふっと割り切ることにした。


自分は木の葉の忍であり、うちはの者であり、暁の一員でもあり。自分が何者なのかわからない。どこへ行けばいいのかもの分からず、サスケに、自分に嘘をつき続けてきたイタチ。


そしてサスケに夢を、野望を、力を、そして生きる勇気を与えることが自分の生きる理由だと悟って死んだ。



そういえば、他の漫画にも同じようなセリフがあった。

そんなつもりはなくても人はね

誰かに“生きる勇気”を与えるために生きているのよ。

誰かに勇気をもらいながら。

宇宙兄弟 金子シャロン



うん。まさに、人が生きる理由ってこういうことなんだろう。


本能的に、誰かに勇気を、力を、愛を与える。それが生きるってことなんだ。



僕は頭がいい人間ではないし、人を納得させる文章力も持ってないから、伝わりにくいかもしれないけど、そういうことにしたって話です。



そして、人間の本能はミニマリズムにのっとっているんだなって気づいた。



成長とか、正解とか、そういうのは単なる道具のようなものであって、それがホンモノじゃない。


それらは、人に勇気を、愛を与えることを、ちょっと楽ちんに、わかりやすくするための道具でしかない。


ちょうど、手間のかかることを楽ちんにしてくれる電化製品や、便利グッズのようにね。




そういう製品を手に入れるために努力する人を、僕は笑ったりしない。


そういう道具に一生懸命手を伸ばす人をバカにしたりしない。



それがその人なりの「誰かに生きる勇気を与えるための術」なのだから。



だけど僕は、そういうものをあえて手放そうと思う。


かつて人類が、コップの代わりに手で水をすくって飲んでいたように。

いや、そこまで極端じゃないかもしれないけど。


何もなくたって、「誰かに生きる勇気を与えること」はできるかもしれない。

いや、そうじゃなきゃ、とっくに人類は絶滅しているはずじゃないか。



「誰かに生きる勇気を与える」のに必ずしも道具が必要だというのなら、道具の作り方もわからない大昔の僕らの祖先のサルたちは、いったいどんな理由で生きてきたっていうんだ?



僕は「笑顔」だと思う。


僕ら人間が、唯一捨てられない道具、それは自身の身体


(この場合、人間という魂のようなものが、身体という道具を使って生きている と考えている。)



究極のミニマル。だけど、「笑顔」で僕は誰かに生きる勇気を与えられると思っている。


それは僕が、「車に乗せてあげる」ってこと以上に、彼らの笑顔から勇気をもらったからだと思う。
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そしてそれが本当の「生きる理由」なのかは、きっと死ぬ間際にわかるんだろう。


死んだらそこでおしまいだ。
たとえその時に「誰かに生きる勇気を与えること」が本当の「生きる理由」じゃないと神様か誰かに言われたとしても、もう終わっちゃうんだからいいじゃないか。


どうせ誰もわからないものなんだし、死を経験した人なんて当然いないわけなんだから、ごちゃごちゃ考えるのはやめて、「誰かに生きる勇気を与えるために」僕は生きることにするよ。